⑩逃げ癖のある学生に向けたエール

「逃げ癖と研究室不登校」シリーズ最終回。初めての方は第1回からどうぞ。ここまでのまとめと自分語りをして締めます。

 

逃げ癖のある若者にとって「若気の至り」は命取りになる

 

改めて声を大にして申し上げたいのですが、進路を決める前の興味や憧れなど、研究活動をはじめとした圧倒的に辛い現実の前では、跡形もなく消えてなくなってしまいます。残るのは絶望感と後悔です。

高校生以下や大学1, 2年生ではまだピンとこないかもしれませんが、逃げ癖のある人にとっての進路選択における重要度は、その分野・仕事の社会的需要や自分との相性>>>(絶対に越えられない壁)>>> その分野・仕事に対する興味です。逃げ癖の染み付いた私達は特に、居心地良いと感じられる環境の範囲が著しく狭いのです。ちょっとのことで嫌になって、すぐ逃げてしまう。だからこそ「居場所ガチャを引き続けても簡単には詰まない状況」 を作り上げることが何よりも重要なのですし、逆にそのような状況があるからこそ、もう少しここで頑張ってみようかなというポジティブな気持ちも生まれてくるものです。

退路なくして居場所ガチャを引き続けると引き取ってもらえる環境が徐々に減っていき、そのうち無職や引きこもりに至ります。今や40 ~ 64歳のうちの1.5%程度が引きこもりです*1。そして、最後の引き取り手であった親の保護すら受けられなくなった場合には、自殺や餓死にまで至るでしょう。今の御時世、簡単な仕事なんかどんどん機械化されていきますし、親の収入や年金も日本の衰退とともに減る一方でしょうから、最悪の事態にまで至るのは私達が思っている以上にあっという間かもしれません。

このブログに行き着きここまで読み進めてきてしまった時点で、あなた(あるいはあなたが今想定するヤバい人)は多かれ少なかれ普通の人では考えられないところでヘタれてしまう「素質」があるのでしょう。周囲との関係性など悩むところがあり、今の人生がうまくいってるとは言えない状況にあるのではないでしょうか。明日は我が身ですよ。

「研究者みたいな自由で、社会へのインパクトもあり、カッコ良い職業に就きたい」「色々な人からすごいヤツだと思われて、はぐれ者だった過去を正当化したい」と思う気持ちは痛いほど分かります。私もそうでしたし、その気持ちにしたがって、大学での進路を選びました。けれどもやはり私のように逃げ続けてきた人には、研究をはじめとして、どうしても向いていない、できない領域は多いのです。

ところどころで脱線しましたので、私が本シリーズで伝えたかったことを今一度まとめます。

  1. 長期の研究室配属・卒業論文を必須とする学部・学科に進学してはならない。
  2. できれば医療系の学部・学科(特に医学科)に進学する。そうではない場合は、在学中に食いっぱぐれしにくい業務独占資格を取得する。
  3. 進路の決定は必ず、ダメだったときの逃げ道を確保できそうか考えた上で行う。一時の気の迷いで決めない。
  4. 世の中の多くの人は私達の「逃げ癖」を理解しようとしていないし、できない。そのような人たちの無責任な意見を聞き入れすぎない。

 

自分語り

 

私はこれまで、私に期待し、時には救いの手を差し伸べてくれた人々を裏切り続けてきました。ここまで研究を毛嫌いするかのような投稿を繰り返してきましたが、別にブラック研究室に所属したわけでもありませんし、研究室の教授や上司を恨んでいるわけでは決してありません。むしろ多大なる迷惑をかけて申し訳ないという自責の念だけが残っています。

研究を筆頭として両手では到底足りないほどの逃走経験を繰り返し、そのたびに一層強まる自己嫌悪から、ますます社会への参加をまともに行うことが難しくなるという負のスパイラルを、現在に至るまで私は克服することはできませんでした。第2回でもお話しましたとおり、私は親の脛をかじりながら、とある資格を取得すべく勉強しています。ですが、かつての自分に比べると明らかに勉強の出来が悪くなっています。これが加齢によるものなのか、これまでの人生に対する後悔や順風満帆に見える友人に対する劣等感が邪魔しているからなのか、あるいは視野を狭窄させる手っ取り早い手段として邪な理由で勉強しているからなのかは定かではありません。資格を取得できなかった未来、取得できたとしても突っ込みどころしかない履歴書によって就職できなかった未来、あるいはあまりにも迷惑極まりない自分を見捨てられる未来は、想像しないこととします。まあ、取得したところでもう心が折れているので、どちらにせよ未来は暗いことに変わりはないのですが。

別にこれから先結婚したいわけでも、子供が欲しいわけでも、楽しい趣味や叶えたい夢があるわけでもありません。日本や世界の行く末にも何ら希望を抱ける要素がありませんし、今後年老いていくにつれて私を取り巻く状況は一層悪くなることでしょう。毎晩もう目が覚めなければよいのになあと思いながら、布団に入っています。恵まれた環境に生まれ育ち、良い思い出もたくさんありますが、これまでに感じてきた喜びと辛さを天秤にかけたら、やっぱり後者の方が圧倒的に私の脳内の重量の多くを占領しています。もし可能ならば私がこれまで偶然手に入れてきた数々の幸運を、運悪く恵まれない状況に陥った別の熱意あふれる誰かに渡して、私の人生を全部なかったことにしたいです。ただ、ただ、苦痛が嫌だからかろうじて今を生きているだけであり、そのような私はそもそも生まれてきたのが誤りだったのだと思います。

そのようなわけで、このまま行き着くところまで行き着いた場合に切ることのできるカードとして「最悪の選択」を常に手札に加えています。研究に携わったから、このような感情を持つようになったんだとまでは言いません。しかしながら、きちんとそれまでの自分の逃避行動について反省して別の道を選んでおけば、多少なりとも今ポジティブに生きていられたのではないかという思いは、どうしても捨てることはできません。

多くの「まとも」な人たちがこの投稿を見たとき、何をそんなことに悩んでいるのか、馬鹿じゃないかと呆れ返ることでしょう。第三者目線で考えると、私の悩みや行動など全くもって非合理的です。反論のしようもありません。勝手に自滅しただけですし。ただ、私のように逃げて、逃げて、逃げ続けてきたあなたには、少なからず共感していただけるところがあったのではないかと思います。

 

おわりに

 

わざわざ私の回りくどく読みにくい駄文に最後まで付き合っていただけたことから、あなたは勉強そのものに対する興味は多少なりとも持っていると推察します。「勉強に対して強烈な拒否反応が起こらない」ことだけでも充分立派な武器で、立ち回り次第であなたの周りの人やこれから先関わることになる無数の人、そして何よりあなた自身を幸せにする可能性を秘めています。その一方で、あなたは誤った選択を一つしてしまうだけで、後戻りできない負のスパイラルへ一気に陥ってしまう不安定さも兼ね備えています。ぜひ私の投稿をひとつの契機として、自らの性格や適性について今一度理性的に振り返り、あなたの可能性をできる限り潰さない進路を選択してください。幸運を祈ります。